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プレスリーの墓(グレースランド)
メンフィスの各ホテルへツアーのバスが迎えに来る。地域、世代、思想を超えた永遠のアイドル、我らがエルビス・プレスリーが眠る地である。広大な敷地は大きなテーマパークと化していて、世界中から大挙して押し寄せるファンを乗せたツアーバスや乗用車を、余裕を持って受け入れている。
それに比べて住居の方は、豪華さは有るものの、以外にこじんまりした造りになっていて、若干拍子抜けの感が否めない。一方、家族と並んだ墓の方はと言うと、花や供え物、蝋燭に埋もれんばかりで、目頭を押える老婦人や、悲痛な面持ちで見詰めて動かない若者もいて、思わず此方も引き込まれそうな雰囲気だった。また、娘の名を付けた豪華な内装の飛行機や、派手な色使いの高級車も展示されていて目を奪うのである。
マリアッチの響き(ティファナ)
サンディエゴの南端から、歩いて国境を越えてメキシコに入った。途端に薄汚れた街並みから威勢の良い呼び声が掛かって来た。ティファナの町はとても心地よい喧騒と若干の危うさが入り混じった、混沌とした雰囲気に満ち溢れている。
昼食に入ったレストランで、名物のタコスの食べ方を教わりながら地ビールを飲んでいると、5人ばかりのマリアッチがやって来た。私達が「ラ・ゴロンドリーナ」と「シェリトリンド」を頼む事にしたら、回りのお客もその度にそれでいいという感じでうなずいている。派手な音色の中に途方も無く悲しくなる響きが堪らない。帰り道に国境の橋の上にいた物乞いの子供から、ガムを買って欲しいとせがまれた時までその悲しさは続いた。

スタイリスティックス(黒人ボーカルグループ)
1968年にボーカルでファルセット・ボイスのラッセルやエリオンが在籍したザ・モナークを前身に結成され、ニューヨークから国内線で約1時間、アムトラックでも約1時間半の、クラシックでも有名な交響楽団を持つフィラデルフィアを本拠地に、ニューヨークや海外でも演奏活動を続ける、スイートでメロウなフィリー・ソウルで世界的に名を知られた黒人ボーカルグループである。昨年30周年のアニバーサリーを迎えた。
=写真右はメンバーと私達(96年、大阪ブルーノートで)
話題(日本人ベイシスト)
バックでベースを弾いているのは日本人ベイシストの大井霧香だ。関西の大学在学中に自費留学して、そのまま米国に留まり、演奏活動を続けて7年余になる。
黒人ミュージシャンが主流の東部ポップス界で評価を得ている。スタイリスティックスには96年から参加して海外ツアーにも出ているが、98年末に来日しての日本ツアー(東京他)は3度目の里帰りツアー公演となった。
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写真左の中央(96年、大阪ブルーノートで)
写真下右の中央(97年、大阪梅田ヒートビートで)
写真下左のステージ右端(96年、大阪ブルーノートで)

トム・ジョーンズ(MGMホテル)
ラスベガスのMGMグランドホテルの小さい方のハリウッド・シアターで、何年か振りでトム・ジョーンズを聴いた。
老いたりとはいえ、昔々大阪のフェスティバルホールでやった時の印象と余り変わり無かった様に思えた。さすがに入場料は51ドル余りとえらく安くなってはいたが。「ラブ・ミー・トゥナイト」は何故かやらなかったのだが、汗を拭きながらの女性客へのサービスなど、変わらぬ仕種は今も健在だった。バックの黒人3人組のコーラスもパンチが効いていたし。
ティケットは前日にティケットブースの前を通りかかった折りに、どうせ無理かと思いながら駄目もとで試しに聞いて見たら、満席だったのに偶然にうまくはまり込んだ形になったのだろうか。でも真ん中少し後寄りの良い席だった。
観客は中年以上の人が多数を占めているようで、中にはかなり年配のご夫婦と思しき人もいて、嬉しそうに手拍子していた様子は本当に楽しそうだった。でも30歳以下に見える若い人も思ったよりは入っていて、彼のセクシーな腰つきに嬌声を上げっぱなしの女性の集団も結構いたよ。
宮殿でのコンサート(ミラベル宮殿)
世界で最も美しい町の一つと称されるザルツブルクの町。モーツァルトの生家があり、ザルツブルク音楽祭で知られる町。その、真ん中を川が貫く小さな町の一角に、映画「サウンドオブミュージック」の舞台ともなった美しい庭園を持つミラベル宮殿がある。名の意味は「美しい眺め」だそうだ。
彫刻のある「天使の階段」を上ると、2階にあるモーツァルトも演奏したという「大理石の間」が今夜の演奏会の会場だ。日本人の団体さんと新婚旅行と思えるのもいたが、ほとんどは町の人達と見えた。それも着飾った人や、普通の若いカップルが隣合わせに並んでいるのが、極自然で何の違和感もない。
曲目は2曲のモーツァルトとハイドンの四重奏曲だった。演奏会の後、町の人達は夜食を食べに行くのが常だそうだ。私達もひそみに倣って静かな町をレストランを探して歩いたのだった。
町には大司教の住まいであるレジデンツがある。モーツァルトとは今一つ反りが合わなかったと言われる彼の宮廷楽団の為に3楽章の交響曲34番を作ったとされる。その日は閉館で、中庭だけを散策した。
モーツァルトが愛した館(ベルトラムカ)
映画「アマデウス」でロケに使ったというプラハの古い街並みを歩くと、無粋な数本のクレーンが、床しげな建物の前壁だけを残して、奇麗さっぱりとならしてしまっている。広大な再開発をしているのだろうか。
高台の方に向かって行く登り口にある建物の壁に、モーツァルト通りの標識があり、更に進むとベルトラムカと書かれた案内板が見えて来る。ここは彼の後援者であるドゥシェック夫妻の別荘で、4度のプラハ訪問の度に滞在したといわれ、この館でプラハ市から依頼の「ドン・ジョバンニ」を完成し、交響曲38番に名を付した程お気に入りだったこの町の劇場で初演して成功を収めたという。
海老茶色の瓦に白い壁の、林に囲まれた瀟洒な館は、遺髪も展示した記念館になっていて、前庭に面した小さなサロンでは音楽会が始まるみたいで、並べた椅子の前ではハープシコードとソプラノの2人の女性がリハーサルに精を出していた。テラスから、開け放たれた窓越しの只聞きは、殊更趣のあるもの。
広い庭に差す初夏の強い日差しを逃れて、白い花を一杯咲かせた木陰のカフェの椅子に座ってビールで一息入れていると、森から降りて来る微風に乗って、また歌声が聞こえて来た。
学生王子の舞台(ハイデルベルク城)
シグムンド・ロンバーグの美しい旋律に乗せた懐かしい「学生王子」の舞台で、「古城街道」の起点の町でもある。流石に大学の町と言われるだけあって学生らしき若者は多く見掛けたが、意外と英語が話せる人はいなくて、帰りのバス待ちの時になって、やっと居合わせたイスラムの学生を黒いベールがとても可愛いと褒めて、断食や礼拝の事等を綺麗な英語で話して貰う事が出来た。
「ケーニヒシュツール山」の短いケーブルカーで、完成に400年掛かったと言われる朽ち果てた外観の「ハイデルベルク城」に登る。内部には2階建て位の巨大なビール樽が有って1杯飲むと名入りのグラスをくれる。城壁のバルコニーから遥か下方に豊な流量のネッカー川が二分して広がる古い街並みと、それを繋ぐ「カール・テオドール橋」が望める。主人は城の中庭に敷詰められている、擦り減った急な石畳で足首を捻って、その後の行程である町の散策や、お目当ての学生酒場でビールを飲む計画を放棄する破目になって仕舞ったのだ。
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